東京高等裁判所 昭和34年(ツ)45号 判決 1960年9月07日
上告人 被控訴人・被告 池田京一
訴訟代理人 池田輝孝 外一名
被上告人 控訴人・原告 渡辺光一
訴訟代理人 松本幸正
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告理由は別紙記載のとおりである。
上告理由第一点について、
原判決は被上告人の第一次的請求原因として主張した昭和三十二年十月十八日になされた解約申入につき賃貸人(被上告人)及び賃借人(上告人)の双方に存する諸般の事情を認定考量した結果、無条件で明渡を求めるのであれば未だ正当事由ありとするに十分でないと判断したが、その後昭和三十三年十二月十三日の原審第三回口頭弁論期日になされた第二次的解約申入に際し被上告人の提供申出にかかる諸条件(即ち明渡を昭和三十四年十一月一日まで猶予すること、更に立退料として金二十万円の支払と引換に、且つ被上告人が上告人に対し未払家賃及び同日までの損害金の支払を免除することを条件として本件家屋を明渡すこと)をもさきに認定した当事者双方に存する一切の事情の一環として勘案した上、被上告人の提供申出したいわゆる補強条件は、自己使用の必要を中心としてみた正当事由の欠缺を補充するに足るものとし、これによつて右解約申入は正当の事由を具備するに至つたものと判断し、かかる条件を附して上告人に対し本件家屋の明渡を命じたものであること判文を通読して諒し得るところである。
ところで建物の賃貸借契約解約申入につきその正当事由の有無を判断するについては申入ないし解約申入期間経過当時までに賃貸人、賃借人の双方に存する一切の事情を比較考量し衡平の観念に従つてこれを判定すべきところ、解約申入に際し賃貸人の提供申出でた諸条件、例えば代りの家(移転先)を提供するとか、移転料の支払その他の金銭的補償をするとか、延滞賃料損害金の支払を免除し明渡期限を猶予するというようなことも、住宅事情の好転しつつある現下の情勢に鑑み賃借人の側において他に新たな住居を求める場合の困難を緩和する一要素とも見ることができるから、かかる条件の有無も亦右解約申入れの当否を判断するにつき前示双方につき存する一切の事情の一環としてこれが判断の一資料となすを妨げず、若しこれあるがため結局正当事由の要件が充足されると判断される場合には主文において家屋明渡の執行の条件としてかかる条件を附して言渡すことも可能であるというべきである。(この点につき代替家屋の提供を条件として解約の申入をした事案につき無条件で明渡を求めるのは正当でないが、かかる提供をなすことによつて正当事由を具備するものと判断し右申出の範囲内で代替家屋についての賃貸の提供及び引渡を執行の条件として契約申入家屋の明渡を命じた原判決を是認した最高裁判所第一小法廷昭和三十二年三月二十八日判決、判例集第十一巻第三号五五二頁参照)ただここで注意すべきは解約申入に附した補強条件はあくまで解約申入の正当性の判断の資料となるべき他の一切の事情の一環として判断の一資料をなすことができるというに止り、提供申出の範囲を超え、若しくは申出条件に拘束されることなく、裁判所が紛争事件解決のため衡平の見地から裁量的に条件を定めて当事者に対し新なる権利関係を創設強制することまでも是認する趣旨でないということである。若し後者を是認すれば所論にいう如く形式的には裁判であつても具体的な争訟について一定の事実を確定し、この事実に法律を適用することによつてなさるべき裁判の本質に反しその実質はいわゆる強制調停に外ならず、借家法第一条の二は正当事由の有無を法律適用の問題として裁判所の判断に委かせたに止り、民事調停法第十七条の調停に代る決定のような裁量権を附与したものでないことはいうまでもない。
尤も本件において提供を申出でた条件は主として家賃の免除その他の金銭的給付であつて前示判例によつて是認された代替家屋の提供(これも他の一切の事情をも勘案することによつて必ずしも、従前の家屋と同等以上であることを要しないこと勿論である)等の場合とは事情を異にするというような反論があるかもしれない。しかし前説示にもあるとおり現下の住宅事情の下にあつては代替家屋の提供に代え金銭的給付を以てするも賃借人の居住の安定(殊に本件にあつては賃借人は単に居住用として使用しているというのである)を確保することも可能であるから、単に提供申出が金銭的給付であるからといつてこの一事を以て前叙斟酌すべき事情に属しないということはできない。なるほどかかる条件の提示を以て伸縮自在な取引であるとし、これを正当性の有無の判断資料とするときは法の適用を不明確ならしめるという議論も一応首肯できないことはない。しかし借家法第一条の二にいわゆる正当事由については自己使用以外に法自体何等先行的な規範を明示しておらず、極めて抽象的な定め方をしているに止るから、どんな場合が正当事由に該当するかは、判例法による具体的解釈の発展に俟つ外なく、法適用の問題としても本来或る程度の不明確さを帯有しているのである。そしてかような条件の提供が果して正当事由を補強するに足るものであるか否かは他の一切の事情ともにらみあわせた上で判断すべき微妙な法律問題に属するから、若しこれら事情の比較考量の点に借家法第一条の二の法意に反する違法があれば適法な上告理由として上告裁判所の判断を受けるは格別、(この点は第二点で説明する)原判決が被上告人において本件解約申入に際し提供を申出でた諸条件を前叙正当事由を補強するに足るものと判断した一事を以て直ちに裁判の限界を逸脱したものとする所論は採るを得ない。(ただ金銭的給付提供の申出はその性質上正当事由の有無に関する判断事項の一として採り上げるについては首肯するに足る理由の説示を要すべく若し安易にこれを濫用すれば所論のいわゆる強制調停に堕する結果を招くおそれあるも、これが余弊は厳正なる法の適用の問題として是正せらるべく、少くともかかる危険を包蔵することの故を以て前示見解を否定する根拠となし難い。)
なお原判決は本件家屋の明渡につき所論のような条件を附しているが、右は家屋明渡の執行の条件と定めたに過ぎず関係当事者に対しかかる権利関係を創設強制する趣旨でないことも原判示に照らし明らかであることを附言する。(前示引用の最高裁判決中上告理由第一点の判断参照)
上告理由第二点について、
所論は被上告人(賃貸人)の本件家屋に対する自己使用の必要性は甚だ緩漫であり、金二十万円の提供を以てするも、明渡を余儀なくせられる上告人(賃借人)の窮乏と対比し未だ以て明渡を是認すべき正当の事由なきに帰し原判決は借家法第一条の二の解釈適用を誤つた違法ありと主張するのである。なるほど原判決もその引用の証拠により賃貸人、賃借人の双方に存する諸般の事情を認定した上被上告人の本件家屋に対する自己使用の必要性は上告人のそれに比してさほど緊切でないことを認めている。しかし他面被上告人は勤務上の会社の先行きに不安があつて失職の危険にさらされているため将来の生活の安定を求めて本件建物を使用し身についた技術を活かして独立してオートバイの修理を営むことを計画しているのであつて相当程度に自己使用の必要があること、本件解約申入につき提供を申出た諸条件(明渡期限の猶予、家賃損害金の免除、及び金二十万円の移転料の給付)も被上告人の資力ではぎりぎり一杯のもので賃貸人としては正になすべきことをなし尽した観があること、これに対し上告人は本件家屋で営業をしているわけでなく専ら住居として使用していること、家族は四人暮しで主として三男の入手する月収約一万一千円で生計を立てているが、前示条件の提供を受ければかなり住宅事情の緩和してきた現在ではこれをてだてとしてさしたる困難なしに一家を収容するに足る移転先を見付け、少くもここ数年は家屋明渡による生活の困窮を凌ぐことができる事情にあることを具体的に認定説示し、被上告人の提供したいわゆる補強条件を前示双方に存する一切の事情の一環として正当性を補完するに足るものと判断したものであつて、右見解は相当である。もとより借家法第一条の二の解約申入につき正当の事由を要件とした所以のものは賃貸人の恣意を抑圧し、借家人の居住の安定を保護するため認められた一の社会立法であるが、賃貸人は賃貸人なるが故に借家人の遠い将来の生活の保障までしなければならぬ筋合のものでなく、解約申入による家屋明渡の要求が不当に賃借人の居住の安定をおびやかすものかどうかについては、賃貸人の側における他の一切の事情と相関的に考えらるべき問題であつて、本件の場合たとい被上告人の提供した諸条件を以てしても、従前の賃借を継続する場合に比し賃借人たる上告人にとつて不利益となつても已むを得ないというべく、このことから逆に正当性を否定しなければならぬものでない。
所論は一部首肯するに足るような立論をしているように見えるが、多くは自己に有利で、相手方に不利な諸点をことさら強調附会して原判決の判断を論難するに帰し到底採用できない。
よつて民事訴訟法第九十五条、第八十九条に則り主文のとおり判決する。
(裁判長判事 柳川昌勝 判事 坂本謁夫 判事 中村匡三)
上告理由
第一点原判決は憲法第三十二条に反する。
原判決は名は裁判であるが実は強制調停である裁判の名を称した強制調停に外ならない、少くとも裁判ではない、憲法第三十二条は「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定するが、原判決は裁判という名の強制調停によつて上告人から裁判を受ける権利を奪つたものである、問題を実質的に本件訴訟の経過に即して考えて見よう。被上告人(原告)は、上告人(被告)に対し最初金十万円と引換えに本件家屋を明渡すよう請求したが、一審でこれを棄却され、控訴審では金二十万円と引換えに明渡を求めると請求の趣旨を改めた、金二十万円の提供を受けても上告人は、その請求を容認することができない。理由は第一点として詳細に述べたとおりである。上告人は取引を拒否し、あくまでも裁判を求めた法律に従つて権利関係を明確に裁断することを求めたのである。十万円を提供するとか二十万円提供するというのは取引である。裁判は取引ではない、調停とは違うのである、尤も調停であるならば上告人は相手方の要求が不満の場合これを拒否して不調にすることもできた。しかし上告人は提訴され、裁判に応ずべき義務を負わされているのである、相手方の申出た提供額が不満だからと云つてそれを拒否しただけでは済まない、裁判を拒否することができないのである。それは公権的判断として当事者を拘束する。しかし裁判が裁判である限り、裁判を受けることは国民の権利と云える、なぜなら法律の厳正な適用によつて法治国家の国民として法的生活の安定を期待しうるからである、だからこそ憲法は裁判所の裁判を受ける権利を基本的権利として保障した。しかるに裁判が取引と便宜主義によつて支配されるならば、それは単に裁判の名に値しないのみならず、強制力を伴うことによつて、憲法の保障する権利を奪う結果になる名は裁判でも実は強制調停である。民事調停法第十七条は、「裁判所は調停が成立する見込がない場合において相当であると認めるときは、調停委員の意見を聞き、当事者双方のために衡平に考慮し、一切の事情を見て職権で当事者双方の申立の趣旨に反しない限度で、事件の解決のために必要な決定をすることができる、この決定においては、金銭の支払、物の引渡その他の財産の給付を命ずることができる」と調停に代る裁判を認めたが、第十八条で、右決定に対しては、当事者又は利害関係人に異議の申立をすることを認め、「異議の申立があつたときはその決定は効力を失う」と定め、当事者が右裁判に不服の場合は、その拘束力を排除否定することの出来る道を開いている。曽て、金銭債務臨時調停法は、調停委員会の斡旋効を奏せざる時は裁判所が調停に代るべき解決案を定めて、当事者に強制しうるものとして明瞭な強制調停を認めた、不服申立の方法として抗告、再抗告が認められていたが、真の裁判を求めるために強制調停を拒否する方法は認められなかつた。元来この「調停に代る裁判」という制度は、明治憲法時代におけるその制定当時においてすら違憲の論議が喧しく、法律の名称も特に金銭債務臨時調停法と名づけられ、他の多くの調停法と異り、臨時的な立法としてようやく議会を通過したのである。ところが戦時には、訴訟を一種の罪悪と見る傾向を生じ、戦時民事特別法は、この「調停に代る裁判」の規定を借地借家調停法等による調停にも準用するに至つた、しかし新憲法下において、各種調停法を統合して民事調停法が制定されたが、その際の法制審議会調停法改正委員会は、当事者の同意なきに拘らず調停に代る裁判に強力な効力を認める規定は、違憲性を有するものとして、現行民事調停法には第十八条を設け、当事者又は利害関係人の異議申立によつて、調停に代る裁判の効力を失わしめることにしたのである。法治主義の根本義は専制君主独裁者のみならず一般に権力機関の専恣を排除して、国民の意志の所産を擬制される法によつて国民生活が規制される点にある、裁判所の裁判はこの究極の保障である、行政官は法律を実施するに当つても、便宜主義によつて広汎な裁量権を有するのであるが、裁判官は厳正に法律を適用することが要請される、裁判所がこの要請を厳守することによつて法治主義はその目的を達し、法律秩序は平安に維持されるのである。憲法三二条が「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」といつているのは法治国民としての基本的権利を保障したものである、何人も法治国民として、裁判所において厳正な法の適用による裁判を受ける権利を有し、この権利は、法律を以てしても奪うことができないことを憲法が保障した重要な意義を有するものである。憲法は裁判所において裁判を受ける権利を保障したのである単に裁判所においてなんらかの処分を受けることを保障したのではない、裁判所の処分でありさえすればよいというのではない、裁判と名がつきさえすれば厳正に法律を適用しなくてもよいといりのでは、裁判所の裁判を受ける権利を保障した憲法の規定は、空疎なものとなつて了う。名目でなく、裁判所の真個の裁判を受ける権利が保障されなければならない、成程本件の処分は裁判所における「裁判」としてなされた、又公開主義、口頭主義、直接主義、証拠主義の大原則も一応守られたと云えよう、しかし、これらの原則は裁判を裁判たらしめる条件ではなく、裁判が行われる条件である。憲法三二条にいう裁判であるための必要条件ではあるが、裁判そのものの要素ではない、裁判そのものの要素は具体的な争訟について一定の事実を確定し、この事実に法律を厳正に適用することである。この点で本件の「判決」は裁判ではない、取引の強権的確定であり強制調停に外ならない、紛争の中には法規を以て一刀両断に裁断することが不適当である場合もある、調停はそのような場合当事者の互譲によつて、紛争を妥当に解決することを使命とする、この点から見れば紛争当事者に調停手続を践ましめることは勿論、時には調停者が条理をつくして作成した解決案を受諾せざる当事者に対して強制することが適当と考えられる場合もあろう。民事調停法十七条は、その趣旨で設けられたものである、しかしそれは十八条の異議申立によつて効力を失う、これが憲法の下における「強制調停」の限界である。原「判決」はこの限界を越えて、上告人の「裁判を受ける権利」を奪つたものである、名実共に調停手続の中で二十万円の提供を申出られたのであるならば、これを単純に拒否することもできるし、又、民事調停法第一七条によつて二十万円と引換えに本件家屋を明渡せとの決定があつても異議申立によつてその効力を失わせることもできる。然るに本件の如くに裁判の名で同一のことがなされた場合はその効力を失効させ、その強制力を排除する方法がないのである、原判決は、裁判の名を潜称する強制調停である、少くとも裁判ではない、憲法三二条に違反するものと云わなければならない。尚原判決は、借家法第一条の二を適用して権利関係を裁断したものであるから、名実共に裁判であるという反論があるかもしれない、しかし「金二〇万円の支払と引換に、かつ控訴人が被控訴人に対し未払家賃および同日までの損害金の支払を免除することを条件として」というのは、被控訴人(上告人)にとつては、権利として認定されたわけであるがこれは同法に基く当然の権利なのであろうか、もし被告人から抗弁として金五〇万円の支払を請求した場合には「五〇万円と引換えに」という判決ができるのだろうか。或は、諸般の事情から、原告の申出た金額二〇万円でもなく、被告の請求する金額五〇万円でもなく、四〇万円が衡平に合致すると認められた場合には「四〇万円と引換えに」という判決をすることができるのであろうか、借家法第一条の二から借家人に当然以上のような権利を裁判で認定できるというのなら格別、然らざる限り、形の上で借家法第一条の二を適用していても、実は、同条を冒用して強制調停をなしたに外ならないのである、これは借家法第一条の二の解釈運用のみならず裁判の本質に関わる重大な問題であるから慎重に御審理頂きたい、第一線の裁判官の苦心もさることながら、裁判には裁判の限界があるという当然の事理を考えて頂きたいと思うのである。
第二点、原判決には借家法第一条の二の解釈を誤つた違法がある。
被上告人の本件家屋に対する自己使用の必要性は甚だ緩漫であり、金二十万円の提供を以てするも未だ明渡を是認すべき正当の事由がない。(一)、一般に借家法第一条のこの正当事由とは賃貸人賃借人の双方の事情を考慮することとして解せられている。(二)、ところで本件に於て被上告人は自己使用の必要について現在差迫つた必要性はないのは勿論将来に於ても必要性というよりむしろ人生における一つの希望があるにすぎない。(イ)今記録にあらわれている被上告人の住居の状態について検討すれば、先ず現在の住居は被上告人の尋問調書によるも、被上告人の勤務先の新武蔵製鋼株式会社の社宅に住んでいるが、その社宅は十五坪位で間数は六畳二間に四畳半一間であるが、その社宅には停年迄は居られる。停年は五十五歳であるが被上告人は現在四十六歳である。家族は六人いて一番上が高校一年というのである。従つて現在は決して住居に困つているのではないし、又被上告人の主張自体も住居に困つているといつているわけではない。(ロ)被上告人の本件家屋の必要性乃至は本件家屋を買つた目的は被上告人の言によれば今つとめている工場は自分として停年迄そこに辛棒している様な条件のいい所ではないから何とかして家を一軒設けてそれで独立したいというのが若いときからの願いであつたというのであるが、その工場は月給三万二千円(第一審の証言)又給料は未だかつてのびたことはない、きちんと払つているとのべている。(此の点第一審では給料は遅配状態である旨のべているが、第一審の証言は抽象的であり、一つの口実としてのべた丈で第二審の証言が真実であると認められる)又居るつもりであれば停年迄その会社には居られるのであるが、給料の額も決して低くないのであるから現在の工場が気に入らないという事に帰する。以上を考察すれば被上告人の本件家屋の必要性は若い時からの願いをかなえる為の必要性であつて、居住それ自体又は営業それ自体のための必要性ではないことが明らかである。(ハ)更に被上告人は前記の様な動機で本件家屋を買つたことは原判決の認定していることであるから之に反する事実の主張は差控えるが、仮りにその様な目的を以て本件家屋を買い受けたとしても、被上告人の願望はそれ程強いものでないことは、自己が本件家屋を買つた後一年二ケ月間上告人に対し、自己が本件家屋を買い取つた旨の通知をせず又上告人に対し直ちに又は近い将来立退いてもらいたい旨の申入れもせず、放置していたということからも明らかである。もし若い時からの切なる願いにより本件家屋を買つたのであれば、遂に宿願が達せられるという希望のもとに直ちに上告人に自己が本件家屋を買い取つた旨、及び自己が本件家屋で営業をしたいから、直ちに又はなるべく早く立退いてもらいたい旨申入れる筈であるのに、自己が本件家屋を買い取つた旨の通知すらしていない。而も自己が買い取つた後一年二ケ月の間賃料もとらずに(上告人は被上告人が家主であることを知らなかつたから賃料も支払つていない)放置していたのであるから、被上告人は本件家屋についてはよくよく無関心であつたと断ぜざるを得ないのである。むしろ当初は賃料の値上等を要求している事等がうかがわれるのであつて、前記の若い時からの願いもあつたりなかつたりの弱い願いであつたということができる。(三)、之に比べて上告人は事情が極めて深刻である。(イ)上告人は当年七十二歳であり、妻はかつて妊娠中転んで打ち所がわるかつたため余後不良で殆ど働けない。長男は強度の神経衰弱で回復の見込みがたたない。尚長男は神経衰弱といつているが、之は精神分裂症ではないかと疑われる節もある。結局三男が旋盤熔接工としてつとめ、その収入一万一千円で四人の家族がくらしている。一人当り生活費は一月三千円に足りない極度の貧困さである。唯家賃が従前から借りていた関係上統制価額で支払つていたので月八百円を支払つて居れば済むので何とかやつてゆける否やつてゆけるのでなくやつて行かざるを得ないのである。而して上告人の唯一の希望は二十七歳の三男に嫁をとつて嫁に働いてもらつて少しでも家計を今より楽にしてもらいたいということである。(ロ)ところで上告人が今金二十万円をもらつて他に転居するとしたらどうなるであろうか。上告人は脳の病いの長男に一室をあてがつて療養させる必要があり、できればその一室がほしい。更に三男に嫁をもらえば一室はほしい。従つて三室は欲しいが二室で我慢するとしよう。二室を借りれば毎月の賃料は大体原判決認定の通り八千円の家賃が必要である。(六畳二間の場合は大体八千円乃至一万円の賃料がふつうである)然しながら家を借りるのには現在の実情は賃料を支払うので済むものではない。権利金敷金として此の場合通常七万円乃至十万円が必要である。原判決は此の事実を無視している。原判決は現在住宅事情は緩和しているとのべているが、具体的に家を探せば賃料と権利金敷金の高いことはおどろく程であつて、その方は少しも安くなつていない。住宅事情が緩和した如く見えるのは国民所得が現在増大しているのでその高額な賃料権利金敷金の支出に耐え得る人が増えてきていることによるのである。換言すれば住宅事情の緩和したと云えるのは、中等程度以上の所得者に関することであつて、その負担にたえない上告人等の階級にとつては少しも住宅事情は緩和していないのである。従つて今七、八万円の権利金敷金を出して原審認定の八千円の家賃の家に入つたとしよう。此の時引越代、周旋料等で一万円は必要となるが、残十一、二万円となる。之では一年九万六千円の賃料を支払えば一年と二、三ケ月で資金はなくなるし、従前の月八百円の賃料を一年分約一万円加算しても一年三、四ケ月で立退料はなくなる。原判決は三年間は立退料でまかなえる様な認定をしているが、三年という数字はどこから割出したものか全く根拠がない。(月八千円とすれば二十万円で賄える賃料は二年と一ケ月であり、従前の賃料を加算しても二年二ケ月である要するに上告人は一年二、三ケ月後には完全な破滅に臨むこととなるのである。借家法第一条ノ二はかかる状態を是認した規定なのであろうか。(四)、原判決は左の如くのべている。「いう迄もなく現行法制のもとにおいては賃貸人は賃貸人なるが故に借家人の将来の生活までも保障しなければならない立場にあるものではない。生活困窮者に対しては社会連帯の思想にもとづいて国家と社会が共通の方策を講ずべきものであつてこれをひとり賃貸人の責任とするが如きことは筋道に合わないことである。」かくて原判決は「おそくとも三年先には完全な破綻が一家を待ち構えていることになる。」様な明渡を認容するのであるが、此の様な解釈は正しいであろうか。一般的には正しく原判決の云う通りである。賃料不払の借家人を貸主は生活困窮者という理由で明渡を訴求することができないわけではないし、無断転貸の借家人に生活困窮者であるが故に契約解除が無効となることもない。此の場合には国に於て賃貸人の生活を保障することとし賃貸人にその保障を要求しない、然しながら生活困窮者に対し国家が、その生活を保障する国の方針であるにも不拘、尚「社会共同生活における相互扶助の理想に立つて」(コンメンタール借家法)賃貸人をして住居の面に於て賃借人の生活を或る程度迄保障させようとする法律の規定がある、借家法第一条の二及び借地法第四条がそれである。此の場合の自己使用の必要其他正当の事由とは賃貸人側の自己使用の必要のみならず賃借人側の必要性をも考慮すべきものと解され、賃貸人の必要性に比し賃借人が明渡しを命ぜられた後の居住乃至生活(例えば営業の面に於て)があまりに著しい困難を蒙る時に解約申入が無効であるというのは、本来国家が賃借人の生活を保障すべきところを、社会連帯の相互扶助の理想から賃貸人に賃借人の居住乃至生活を保障させるものである。原判決の如く云い切れるならば賃貸人は自己の店舗を拡張するために隣家を買取つて隣家の賃借人を(そこで長年営業を営みそこをはなれれば生活できない事情があつても)明渡させて国家に生活を保障させればよいのであるが、法はその様なことを認めていない、尤も原判決もそこ迄考えているのでなく、この論議はいささか揚足取りに近いかも知れないが、然し原判決の思想の根底にかかる考えが流れている事は否定できない。而してその思想こそ借家法第一条のこの根本問題なのである。かくて私は原判決はその考え方に於て借家法第一条の二の解釈を誤つていると思うのである。(五)、又原判決は被上告人が金二十万円を提供することを以て賃貸人としての社会的責任を果したとのべているが、その様に云えるであろうか。社会的責任を果したとは上告人が本件家屋に住むために通常の人が出費する丈と同等又はそれ以上の出費をした上いるという意味に解せられる。然しながら上告人には被上告人が金二十万円の明渡料を支払つても尚被上告人は不当利得(法律上の意味ではない)をしていると考えざるを得ないのである。昭和二十九年頃に於て店舗として使用し得る家を他人より賃借しようとする場合権利金として六十万円以下の家屋は殆どなかつた。又五十万円出せば人通りのまばらな商店としてあまり成立ちそうにない場所ならば借りられた。尤も五十万円以下の店舗は絶無ではなかつたが、店舗とは貸主が恣ままに名づけた家であり、何人もそこを店舗としてやつてゆけないとして断念する他ない袋路の家屋であつた。権利金にして且つ然り、所有権を得んとすれば更に高価な出費を要することは明らかである。ところで本件家屋は店舗用家屋である(登記簿にも店舗と記載されてある)又その場所は店舗として使用し得る場所にあることは被上告人の尋問より明らかである。当時本件家屋が空家であつたとして、之を買う場合時価いくらであつたか、原審迄の記録によるも明らかでない。然し場所が店舗に使用できるとすれば仮りに家屋が古く上質の材料で建てられていないとしても六畳二間と三畳という三部屋二階建の家屋であるから、空家を買うとすれば金六十万円以下で買えたとは到底考えられないのである。換言すれば通常人が本件家屋の所有権を取得し之を使用するには最低六十万円の出費は必要だと考えられる。然るに被上告人は之を人が賃借していて而も家賃も高くない家であるせいで、前所有者にとつて利益の少い家屋であつたという原因でわづか金十万九千二百円で買つている。之に立退料金二十万円を加えても金三十万九千二百円にすぎない。即ち被上告人は人の住んでいる家を買うことにより空家で買う場合に比し半額の費用を以て自己が居住し得ることになるのである。かかる事を許すのが法の建前であるならば、家屋を買う者は須らく空家を買わず他人の賃借している家屋を買うべきである。そうすれば費用は半額ですむのである。かくては金のある者は一齊に不当に利得し、金のない者は一齊に追い立てられる。果してこれが法の趣旨であろうか。(六)、右の如き論点より考慮すれば本件の場合の金二十万円の明渡料は低きに過ぎることは明らかである。尤もそれも賃貸人側の事情にもよることであるから常に金二十万円の明渡料では低すぎると云い得ない場合もあり得るであろう。それは当事者双方の事情如何である。今仮りに被上告人がその勤め先の会社がつぶれ失職し、自ら独立して営業をなす緊急の必要があるということで、上告人の居住する家屋を人が住んでいるという理由で時価より著しく安く金十万円で本件家屋を買つた場合を仮定しよう。此の際明渡しは無条件で認められるであろうか。此の際被上告人の緊急の必要性は考慮さるべきである。然しながら空屋の場合の時価の五分の一程度で空屋を買い上告人の生活を破滅させるという事情は看過し得ない。かかる場合に始めて金二十万円の明渡料と引換に原判決の如き条件で明渡を命ずることは公平に適し是認すべきものと考える。然るに本件に於ては被上告人の自己使用の必要性は前述の通り甚だ緩慢である。原判決は此の緊急の場合に是認すべき結論を本件緩慢な場合に適用している誤りがある。本件は原告の請求の棄却さるべき事案である。仮りに明渡料の支払と引換に明渡しを命ずるとするならば金五十万円以下の金額と引換に明渡しを命ずべきではない。原判決は借家法第一条の二の解釈を誤つたものと云うべきである。